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それは身近な病気です。

あなたには、性被害、性暴力が一次的、二次的要因となって引き起こされた精神的な症状はありますか?

・PTSDと解離症状
・うつ病、希死念慮
・摂食障害
・アルコール依存、薬物依存
・罪の意識
・自分が汚れている感じ、自分が汚された感じ
・怒り

など、ザッと考えただけでもこのくらいは出てきますが、程度の差はあっても、私には当てはまるものばかりです。
それぞれについてはおいおい書いていきたいと思いますが、
今日は中でも、いちばん厄介でいちばん身近な摂食障害について、少し書こうと思います(あくまで私個人の場合です)。

私は小学校中学年くらいまでは、コロコロと太っていたのですが、高学年になるあたりから少しずつ痩せてきました。受験勉強のせいかもしれません。
でもそれは、いわゆる第二次性徴だったと思います。
極端に痩せ始めたのは、やはり性暴力が原因だったと思います。その体験と記憶がつらくて気持ち悪くて一日中何も食べられず、その状態から逃げるために中学生のくせにアルコールばかり飲んで一日の大半を眠って過ごしていました。

それからだんだん病的に食べられなくなり、まず、動物性の食品が気持ち悪くて一切ダメになりました。和食に入っているかつおだしでさえダメになりました。食べ物をとることが気持ち悪くなりました。かつては生きて動いていた食べ物が私の身体の一部になるという感覚が、性暴力を受けていた時の、外部から私の内部への侵入を思い起こさせて、気持ち悪くてしょうがなかったのです。植物性の食品なら少しは食べられたので、豆類とか野菜とかばかり食べていました(なぜかお米もパンも食べられませんでした)。

まあ、そりゃ痩せます、というか、やつれます。

そしてそういう拒食期のあとには、大抵は過食期か過食嘔吐期が来ます。でも、中学生の私には来ませんでした。(大学を辞めて実家に戻った時に経験することになります。)
食べる喜びというもののまったくない思春期を送りました。

まったくエピソードがないのもさみしいですので、大学受験の時に持っていったお弁当のメニューでも書きましょうか。苺と、プルーン。それだけでした。

どっちにしろさみしいですね。

私の摂食障害(前期)はそんな感じだったのですが、あなたには何か、精神的、身体的含めて、症状は出ていませんか?、もし何か少しでも心当たりがありましたら、すぐに病院にかかってください(心当たりがなくても、性暴力を受けた時点でお医者さんにはかかった方がいいと思いますが)。全員がいいお医者さんばかりとは限りませんが、私は、もしもこの早い段階でいいお医者さんにかかっていれば、全然違った人生だったろうなあ、と、時折思うことがあります。
でも実際、もしお医者さんにかかっていたとしても、ひと言も話せなかっただろうな、と思うのも本当なのですが。
そして、ここまで来て今の人生を嫌うことは幸いありませんが、それは運がすごく良かっただけだと思っています。

大学にも入れたし、友だちはできたし、女の子とも付き合えたし(奇跡です)、勉強も研究も、演劇もやれました。いまは音楽もやれています。音楽友達にも恵まれています。いい主治医さんにも恵まれています!(このへんは私の略歴を見てくださいね。)

だけれども、そこまで回復したと思っている私ではありますが、夜中にどうしようもない悪夢に襲われる時がいまだにあるのです。

だから私は、あなたのことがとても心配です。

まず、死なないで生き延びてください。そうすれば必ずマイナスをプラスにひっくり返すチャンスが来ると思います。いや、来ます!、その時にチャンスを活かせればきっと、生きてきて良かったと思えますから。ですからどうか、生きることをあきらめないでください。
それがまずひとつ、今の私が今のあなたに聞いていただきたいことです。

今日はこの辺で。
じゃあ、また明日。

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両親のこと。

昨日、両親のことに少し触れたので、うちの両親のことを書きたくなりました。

私と両親とは相当に仲の悪い時期もありましたが、この歳になってやっと、どうにか親子のコミュニケーションがとれるようになってきたと思います。(とは言っても、母はいま入院中、父は家でひとり暮らしではありますが。)
しかし、昔はそれはもうひどい親子仲でした。うちだけが特別でもないと、それから父と母はあれでもそこそこ仲は良かったんだと思えるようになったのは、ごく最近のことのように思います。
うちがどういう家だったか、ものすごく簡潔に書くならば、ものすごい機能不全家族、と言えばいいでしょうか。

…ここに関してはまだあまり上手く書けないと、ここまで書いて気づきました。

いったん私のことは置いておきまして、あなたのおうちではいかがでしょう?
ご家族仲はどうですか?、ご両親同士の仲はどうですか?
もしかしたら、あなたとしてはいろいろご不満もあるかもしれません。
でも、私もこれは今だから言えるのですが、ご両親はあなたのことをとても気にかけています。
ただそれを上手く表現できなかったり、時には売り言葉に買い言葉で、まったく逆のことを言ってしまったり、するのだと思います。
大人なんか、子供が育っただけなんです。完璧な存在なんかではないし、人格者でもありません。私はもう、子供のひとりやふたりいてもおかしくない歳ですが、そのきざしすらなく、好き勝手に暮らしています。しかし父が今の私の年齢だった時は、わたしは二十歳ちょっとの計算になります。そりゃ新興宗教入るよな、そりゃ母との仲も上手くいかなくなったりするよな、など、その点では両親に申し訳なく思ったりもします。
それでも僕を見捨てなかった(少なくとも経済的には)両親は、きっといろいろ考えて、必死に私の具合が良くなるように心を砕いてくれたのだと思います。

だからあなたのご両親も同じなんです、などと非論理的な結論を言うつもりはありません。しかし、あなたのご両親もご両親なりに(この「なりに」というところが問題だったりはするのですが)、自分たちにできることは何か、どうすればあなたの具合が少しでも良くなるのか、一生懸命考え、実行できることは全部実行してきてくれた(または実行しようと思っている)はずなのです。
個人的には、そうではないご両親には親の資格はないと言いたいくらいです。

要は何が言いたいかというと、性被害によってあなたが傷ついているのと同じくらい、あなたのご両親も傷ついているはずだということです。
そしてご両親の性格や性質により、子供に対する態度に違いが出るのは、子供としては大目に見てあげないといけないんだろな、ということです。

私たちは、親を選べません。(たぶん)
だからあなたもあなたのご両親も(もちろん私も私の両親も)与えられた状況の中でどうにかやっていくしかないのです。
未来は、決まっていません。(たぶん)
だからまだ、あなたにも私にも希望はあるのです。
ただ、空を眺めて奇跡を待っているだけではダメで、それぞれができることを必死にやっている時に、不意に起きる出来事(たとえば家族の中のどなたかが何かの不幸に見舞われる、など)で、急に家族がまとまることがあります。まあ、これは私の家族の話なんですけどね。

歳をとると、どうしてもうちの両親も病気で体調を崩しがちになり、今までのように手加減なく両親を罵倒するわけにもいかないな(罵倒してたんです…)、という気持ちになってきました。そうしているうちに、少しずつ家族仲が良くなってきました。それは私の家族に、両親の病気という一見不幸な出来事がもたらしてくれた、プレゼントのような気さえするのです。
あなたとあなたのご両親の仲も、その中のどなたかがあきらめない限り、希望はあるのです。私は、そう思っています。
だからあなたは存分に、あなたの性被害と向き合えばいいと思います。なかったフリをしたり、平気なフリをする必要はないのです。

ひとりではきつい、と思った時は、またこのブログに来てください。
何が書けるかはわかりませんが、私もまだ書いていくつもりです。

じゃあ、また明日。

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「ありのまま」とは。

昨日のこととちょっと関連するんですが、今日は自己肯定感の話をしたいと思います。
性暴力もですが、いじめ(暴力)も、自己肯定感をズタズタにします。
自己肯定感というと「私には価値がある」という気持ちのことでいいと思いますが、これはむしろ、両親が子供を育てる時に半ば本能的に与えているものだと思います。「いい子だね」「かわいいね」、両親からのそういう言葉によって、自己肯定感は形づくられていきます。

しかし、これが「ありのままでいい」という言葉になると、海外と日本とでは、事情が違うようです。

昨今の日本は、もはや「ありのままでいい」ブームです。僕に言わせると「ありのまま」っていうのは「傷ついた自分」でも「弱い自分」でも「苦しんでいる自分」でもいいってことですか?、と曲解してしまうところです。確かに「苦しんでいる自分」を否定されたらきついどころの話ではありませんが「苦しんでいていいんだよ」、というメッセージには、どこか上から目線を感じます。

「苦しいけど、苦しんでなんかいたくないよ!」
「好きで苦しんでるわけじゃないんだよ!」
「苦しまないで済むようになりたいんだよ!」

というのが、素直な私の気持ちでしょうか。あなたがどう思うかはわかりませんが、今のあなたが性暴力や暴力(いじめ)にあったあと、または常時曝されている状態なら、共感していただけるのではないでしょうか。

海外(と言っても欧米の一部になりますが)では「ありのまま」の逆で、「どう自分をプロデュースしていくか」ということに重きを置くようです。この場面では「こういうキャラの自分」が適切だな、と考えて、自分のキャラを作っていく、とでも言えばいいでしょうか。「ありのまま」とは真逆ですね。

どっちがいい、とは一概には言えませんが、その目論見が成功するならば、大人になった時に精神的に強いのは「自己プロデュースできる方」だと私は考えます。どんな場面でもありのままの自分、というのは、自分をアピールすることを放棄してしまっているように思えますし、いったん自分を否定されれば(そりゃされることもあるでしょう)、「ありのままでいい」という幻想に支えられていた自己肯定感がガラガラと崩れていってしまうのではないでしょうか。

「自己肯定感」は生きていくのに非常に大事です。しかしそれは、すごく小さな子供の頃を除いては、自分で獲得していくものなのではないでしょうか。ただ、ベースとして、両親に与えられた「ありのままでいい」という自己肯定感があれば、いろんなことに積極的に挑戦していくことがより容易になるでしょう。つまり「ありのままでいい」というのは、自分の挑戦のスイッチを押してくれる、あと一歩のところを後押ししてくれる、そういう役目をしてくれるもののように感じます。そして、その挑戦が上手くいくかどうかを決めるのが「自己プロデュース能力」であり、上手くいけばまた自己肯定感が育っていく、上手くいかなくても確実に経験値は積める、そういうことの繰り返しによって、人格が形成されていくような気がします。

そして話は戻りますが、レイプというものは、この自己肯定感を破壊します。少なくとも私の場合は破壊されました。そして、生きることがものすごく大変になりました。
この「生きることが大変になった」という点では、性暴力被害者、レイプ被害者であるあなたには、共感していただけるのではないかと思います。そしてそこから立ち直っていくには、「ありのままでいい」よりは「自己プロデュース能力を高める」ことの方がむしろ重要で、いっそ容易なのではないかと思うのです。

子供のうちは「ありのままでいい」と言ってもらえる場面も多いと思いますし、性暴力のトラウマ(PTSD)の治療には、そんな自分がいても安心な空間で行なわれるのが普通です。
それは「何でも自分の言いたいことを言っていい」空間だからです。苦しみ、悲しみ、痛み、屈辱、怒り、そういう感情を開けて中身を表現するのは大変なことのようですが、表現の仕方は人それぞれです。
ですが、受け止めてくれる人(多くの場合は治療者、専門家)がいてくれれば、涙と言葉は、力になります。
治療の段階は、それこそ人それぞれ、少しずつでいいのです。そここそあなたのありのままでいいのです。

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とっておき。

昨日はちょっと調子に乗って書きすぎました。
すみません、水原です。

私のことをいくら書いても、まあ、いいんですが、
できればそれがあなたの役に立つ情報であるといいと、思っています。
昨日の記事は、単に昔話と私の主張です。
失敗談と言えるかもしれません。
あなたはあなたの失敗談を、たくさん作ってください。

失敗するって、でも大切なんですよ?

人は失敗からは多くを学ぶし、用心深く、思慮深くもなるし、だからどうせ失敗するなら若いうちの方がいいんです。本人の記憶にもヴィヴィッドに残るし、ゆるしてもらいやすいですしね。

私がいまこの文章を書いている段階では、このブログはGoogleで検索しても出てきません。Googleで検索してひっかかるようになるまでには、少し日数がかかるらしいんですね。だからわりと好き勝手書いてるんですが。

そして少し先の日だとは思いますが、検索してこのブログに辿り着いてくれたあなたがいま、どんなことで悩んでいるのか私にはものすごくわかるところがあるんです。あるんですが、まだそれを直接お伝えできないのがもどかしいです。

と、愚痴を書いてもしょうがない。

たとえばあなたがいま、性暴力を、レイプを受けたばかりだとしたら、少しは役に立つことを私が言えるかもしれないということです。
相談できる人がいないようなら、このブログのたまっているはずのログを遡って、全部読んでみてください。そこにはいまの、あるいは少し先の、ずっと先のあなたがいるように、私は書いていくつもりです。

まず、今日はふたつだけ。
「あなたは、決して悪くない」
「あなたは、決して汚れてなんかいない」
このことをどうか、忘れないでください。
(実はこれ、けっこう核心なんですが。)
私も未だに「私が悪いんだ」「私は汚されてしまったんだ」と、思うことがあります。
そう思い込まされてしまうんですね。
それが性暴力のずるく、卑怯なところです。

だからいくら日本とは言え(海外では少し事情が違うかもです)、これだけ性暴力に関する個人的なブログが少ないんです。

もしかしたら、Twitterを鍵垢にして自分の気持ちをつぶやいている子も多いかもしれません。(そうしようとしても、それすらもできない子も多いかもしれません。)それも癒しの効果がないとは言いません。言いませんが、誰かとその気持ちを分かち合えたと思えた時の方が、ずっとずっと効果的です。そういう相手のいる人は、だいじょうぶです。

でも、そういう相手はなかなかいない、いても大事なら大事なほどその相手には話しにくいものですよね。
だから、上に書いたふたつの言葉を忘れないでください。自分に向かって言ってあげてください。

「あなたは、決して悪くない」
「あなたは、決して汚れてなんていない」
私も時々、思い出したように自分に言っています。
少しずつですが、自分を否定しなくて済むようになってきますよ。

じゃあ、また明日ね。

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憎しみで人が殺せたら!!

昨日ちょっと触れたので、ジェンダー、というと大げさだけども、性自認の話。(すみませんが、今日は一人称は「僕」で書きます。)

僕は、性暴力のせいで中2の時点で自分のジェンダーに疑問を持つようになった。僕が好きなのは男性なのか女性なのか、無いアタマを絞ってすごく悩んだ。
このブログでも女性名を使って書いてるし。(ちなみに「水原千里」という名前は、僕が書きかけて、でも書き上げられなかった小説の登場人物から取っています。だからすごく身近な感じします。)
でも35年前はLGBTなんていう言葉もなかったし、ウェブもなかった。だから僕はお酒いっぱい飲んで、ベッドの中に入って痛いくらい目を瞑って「気持ち悪い、気持ち悪い」ってずっと思ってた。

でも、僕が吐き出したかったのはアルコールでも言葉でもなくて、汚れた自分自身だったような気が、いまはする。

自分なんて消えてなくなればいい、って、すごく思ってた。だけど表現する方法がなかった。相談する人なんかいなかった。他人が信じられなくなった。外を見れば人はいっぱいいるのに、僕はほんとうにひとりぼっちだった。

だからマンガ、いっぱい読んだなあ。
萩尾望都さんと竹宮惠子さんは特にいっぱい読んだ。何か、共感するものをすごく感じていっぱい読んだ。読み終わると最初に戻ってもう一回読んだ。そこだけ時間が30年くらい先を行ってたんじゃないかって、今だからちょっと思える。
でもそこはやっぱりマンガの世界で、現実を生きるための力にはなってくれたけど、現実にはなってくれなかった。

時々、自分の部屋でセリフを音読しながら読んだりもした。今の子たちもそういうことするのかな~。ツイキャスとかでシチュエーション決めてセリフ言ったりする配信はあるけど、それもまだそこまでメジャーなことじゃないよね。でも、今の子たちはウェブがあっていいなあ!!、調べればなんだってわかるじゃんね。でも、性被害のブログは、すごく少ない。被害にあっている子は絶対に一定数いるのに、やっぱりウェブでおおっぴらには言いたくないのかもしれない。性表現はおおっぴらなのに、それはでも、フィクションだから表現できるのかな。フィクションだったらそれこそもうなんでもアリだもんね。

でも、だからこそ僕にはわかるんだけど、大事なのは性表現をタブーにしないことじゃなくて、性的な話を現実の会話レベルに持ってきても変な目で見られないようになることだと思う。今はみんな(若い子たちは特に)、LGBTに偏見が少ない(ないとは言わない)のは、すごくいいことだと思う。

今の小学校や中学校の性教育がどうなってるのか知らないけど、でも、ちゃんとやってんのかな?、小学校中学年くらいになったら男女同席させて、セックスの仕組みとか意味とか心地良さとか危険さとか、話してんのかな?、小学校高学年以上になったら、夏休み前にはコンドーム男女問わず配ってるのかな~?(多分してないよね…。そのくらいしてくれてもいいと個人的には思うけど…。)

そしてあと、ちょっとクギを刺して言っときたいのは「男性を好きな男性」と「女性を好きな男性」をちゃんと同一平面上で語ってほしいってことなんだよね。男性を好きな男性は、男性なら誰でも好きになって、欲情するっていうわけじゃない。当たり前だよね?、女性を好きな男性だって、女性なら誰でも好きっていうわけじゃないもんね。男性が、道ですれ違う女性全員に欲情してたら大変だもんね。それはただの変態だよね。

男性を好きな男性にだって、好みの男性もいれば、好みじゃない男性もいる。ただの友達として好きな相手もいれば、恋愛の対象として好きな相手もいれば、どうでもいいその他大勢の男性もいる。女性を好きな男性だって、だいたいみんなそうじゃんね?、好きなタイプもいれば嫌いなタイプもいる。以下同文だから繰り返さないけど、同性でも異性でも恋愛の対象になり得る、っていうのが、落としどころとしてはいちばん素直な気持ちじゃないかなあ。実際に恋するかどうかは別にしてさ。

そんな風に人と人が恋に落ちる時、LGBTっていう言葉は全く無力だと思うんだ。性自認に問題を感じる人を指してはいるけど、いっしょくたにしちゃダメだよね。

あと、話と直接関係はありませんが、今日のブログのタイトルは竹宮惠子さんのとあるマンガのセリフから引用させていただきました。それな、ほんとそれな…。