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善も悪もない。

はい、昨日は本、読めませんでした~。
すみません、えっらい重かったです…。(内容がね…、本自体は軽かったんですが。)
そういう本を書いた著者も生き延びている現実を考えると、希望なのか絶望なのか、あやふやな気分ですが、少なくとも絶望だけではないことを祈ります。

世界は、きっと絶望ばかりでもなければ、希望ばかりでもない。
私たちがどっちの方向へ行ってるかは、多分誰にもわからない。(残念ながら絶望よりの方ではあると思うけど…。)
でも、絶対の善も絶対の悪もない。
神様なんかいない。
世界は、あるがままにある。
あと200年も経ったら、今生きている人間なんかみんな骨になってる。
くらいの気分でないとね、読めないんですよ、今度の本は。
私のブログを読んでいる方はどんな気分で読んでくださっているのか、まだわかりませんが、もともと性被害、性暴力というきついことを扱っているので、きつい気分になることも多いかと思います。そんな時は、読み終わったあと、お酒でも飲んでいい音楽でも聴いて、近くにパートナーさんがいるのなら、仲良くお喋りでもしてスキンシップとってくださいね。
自分の気分をコントロールすることは、PTSDに対処するにも非常に重要なテクニックです。
何でもいいから(大好きなぬいぐるみ、お気に入りの洋服、生まれた時から一緒にいる愛犬、etc.)、「これがあれば私はだいじょうぶ!」というものがあると、人は何とかなります。それから、自分が何かの、誰かの役に立っている、という実感も、生きることを少しだけラクにしてくれます。
小さなこと、簡単なことからでいいんです。そういうことを身の回りに集めておくといいと思いますよ。

もともと私たち、散々傷ついてここまで来ているんです。だから、ちょっとのことで、ちょっと優しくされただけで、幸せになれるっていうのは、特権ですよね。その代わり、ちょっとしたことでずーんと落ち込んだりもするわけですが…。
でも私ね、最近はそこまで落ち込んだこと、ないんですよ?
気分のコントロールは上手くなってきたんだと思います。
ただ、どうしても先送りにしてしまっていることはあって、先々まで見通すとできないこととか、できなくて悔しいこととか、出てきそうなんですけどね…。
まあでもね!、そんなに先のことばっか心配してもしょうがないんですよ!(←このへんが気分のコントロール)
この一瞬が今ですよ!
美味しいものたべて、どかっと寝て、元気出したらまた新しい気持ちで生きていけますよ!(私なんか、ホントその繰り返しですよ。)
あなたもあなたのトラウマと上手く付き合えるようになる時がきっと来ます。(しつこいようですが、いまそのためのメルマガ作っています~。)
そういう意味では、希望ばっかりでいましょうよ!
僕は今夜、ふたたび重たい本に挑戦してみますが、勝てる気はしませんw

じゃ、じゃあ、また明日。

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ホントは速く読みたい。

こんにちは、水原です。
今日は、先日注文した「性犯罪被害にあうということ」という本が届きました。私は、特に読むのが速い方ではないので読むこと自体は大変です。しかし精読というか、大事なところは繰り返し繰り返し覚えるまで読むし、そうでないところも、一回気持ちを込めて読めば、興味のある本なら大体のところはアタマに残ります。
だから、そうやって気持ちを込めて読んだ本は愛着があるので捨てられないし、私の部屋は、本と楽器で埋まっています。愛着というのはきっと、執着と言い換えてもよくて。だって、好きなものほど手離したくないですよね?
言葉遊びかもしれませんが、それが無くなったらすごく悲しくて悔しいことを執着、それが育ってひとり立ちしたらすごく嬉しいことを愛着、と呼ぶのかなあ、なんて思います。
パートナーの存在なんかは、どっちにも当てはまりますね。だから愛着と執着は分け難い、と書いたのですが、…できれば執着だけ捨てたいです。

私は、性暴力のことも、さんざん受けてきた酷いいじめのことも、いまだに鮮やかに夢にみます。以前書いたように、夢は夢にすぎないと割り切れるようになってからは、そんな夢をやり過ごすのも上手くなりましたが、あなたはそんな時、どうしているでしょうか。私の書いた、夢と共存する方法は、役に立っているでしょうか。
でも、あなたがもし、性暴力にあって間もない状態でしたら、そんな、共存なんてできなくて当然です。私にはその気持ちは、手に取るようにわかります。私も、同じでしたから。

何もやる気が起こらない、ただぼうっとしていると時間が過ぎていくのがすごく遅い、眠れない、起き上がれない、人にあたる、食欲がなくなる、気がつくと、涙がぼたぼた垂れている。
そういうことの全部が、よくわかります。
どうすればいいんでしょうね、ではなくて、こうしたら少しはラクになりますよ、そういうことを提示したくて私はこのブログを書いています。ただ、以前にも書きましたが、そういうことはメールマガジンにしてまとめてお送りしようと思っており、今はその準備中だということを、どうかご理解ください。

あなたが明日もなんとか、どんな形だとしても、生きていてくれることを願って止みません。生きていれば、いつかはいいことがあります。生きていれば、なんとかなることもあります。死んだら少なくとも、この生では負けです。
だから、どんなに苦しくても生きてください。性暴力だなんて、そんなゆるせないことのために死んだら、悔しいじゃないですか。私は、あなたが生きていてくれればそれだけで嬉しく思います。そういう存在がここにいることを、どうか忘れないでください。

じゃあ、また明日、
ここでお会いしましょう。

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それは身近な病気です。

あなたには、性被害、性暴力が一次的、二次的要因となって引き起こされた精神的な症状はありますか?

・PTSDと解離症状
・うつ病、希死念慮
・摂食障害
・アルコール依存、薬物依存
・罪の意識
・自分が汚れている感じ、自分が汚された感じ
・怒り

など、ザッと考えただけでもこのくらいは出てきますが、程度の差はあっても、私には当てはまるものばかりです。
それぞれについてはおいおい書いていきたいと思いますが、
今日は中でも、いちばん厄介でいちばん身近な摂食障害について、少し書こうと思います(あくまで私個人の場合です)。

私は小学校中学年くらいまでは、コロコロと太っていたのですが、高学年になるあたりから少しずつ痩せてきました。受験勉強のせいかもしれません。
でもそれは、いわゆる第二次性徴だったと思います。
極端に痩せ始めたのは、やはり性暴力が原因だったと思います。その体験と記憶がつらくて気持ち悪くて一日中何も食べられず、その状態から逃げるために中学生のくせにアルコールばかり飲んで一日の大半を眠って過ごしていました。

それからだんだん病的に食べられなくなり、まず、動物性の食品が気持ち悪くて一切ダメになりました。和食に入っているかつおだしでさえダメになりました。食べ物をとることが気持ち悪くなりました。かつては生きて動いていた食べ物が私の身体の一部になるという感覚が、性暴力を受けていた時の、外部から私の内部への侵入を思い起こさせて、気持ち悪くてしょうがなかったのです。植物性の食品なら少しは食べられたので、豆類とか野菜とかばかり食べていました(なぜかお米もパンも食べられませんでした)。

まあ、そりゃ痩せます、というか、やつれます。

そしてそういう拒食期のあとには、大抵は過食期か過食嘔吐期が来ます。でも、中学生の私には来ませんでした。(大学を辞めて実家に戻った時に経験することになります。)
食べる喜びというもののまったくない思春期を送りました。

まったくエピソードがないのもさみしいですので、大学受験の時に持っていったお弁当のメニューでも書きましょうか。苺と、プルーン。それだけでした。

どっちにしろさみしいですね。

私の摂食障害(前期)はそんな感じだったのですが、あなたには何か、精神的、身体的含めて、症状は出ていませんか?、もし何か少しでも心当たりがありましたら、すぐに病院にかかってください(心当たりがなくても、性暴力を受けた時点でお医者さんにはかかった方がいいと思いますが)。全員がいいお医者さんばかりとは限りませんが、私は、もしもこの早い段階でいいお医者さんにかかっていれば、全然違った人生だったろうなあ、と、時折思うことがあります。
でも実際、もしお医者さんにかかっていたとしても、ひと言も話せなかっただろうな、と思うのも本当なのですが。
そして、ここまで来て今の人生を嫌うことは幸いありませんが、それは運がすごく良かっただけだと思っています。

大学にも入れたし、友だちはできたし、女の子とも付き合えたし(奇跡です)、勉強も研究も、演劇もやれました。いまは音楽もやれています。音楽友達にも恵まれています。いい主治医さんにも恵まれています!(このへんは私の略歴を見てくださいね。)

だけれども、そこまで回復したと思っている私ではありますが、夜中にどうしようもない悪夢に襲われる時がいまだにあるのです。

だから私は、あなたのことがとても心配です。

まず、死なないで生き延びてください。そうすれば必ずマイナスをプラスにひっくり返すチャンスが来ると思います。いや、来ます!、その時にチャンスを活かせればきっと、生きてきて良かったと思えますから。ですからどうか、生きることをあきらめないでください。
それがまずひとつ、今の私が今のあなたに聞いていただきたいことです。

今日はこの辺で。
じゃあ、また明日。

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「ありのまま」とは。

昨日のこととちょっと関連するんですが、今日は自己肯定感の話をしたいと思います。
性暴力もですが、いじめ(暴力)も、自己肯定感をズタズタにします。
自己肯定感というと「私には価値がある」という気持ちのことでいいと思いますが、これはむしろ、両親が子供を育てる時に半ば本能的に与えているものだと思います。「いい子だね」「かわいいね」、両親からのそういう言葉によって、自己肯定感は形づくられていきます。

しかし、これが「ありのままでいい」という言葉になると、海外と日本とでは、事情が違うようです。

昨今の日本は、もはや「ありのままでいい」ブームです。僕に言わせると「ありのまま」っていうのは「傷ついた自分」でも「弱い自分」でも「苦しんでいる自分」でもいいってことですか?、と曲解してしまうところです。確かに「苦しんでいる自分」を否定されたらきついどころの話ではありませんが「苦しんでいていいんだよ」、というメッセージには、どこか上から目線を感じます。

「苦しいけど、苦しんでなんかいたくないよ!」
「好きで苦しんでるわけじゃないんだよ!」
「苦しまないで済むようになりたいんだよ!」

というのが、素直な私の気持ちでしょうか。あなたがどう思うかはわかりませんが、今のあなたが性暴力や暴力(いじめ)にあったあと、または常時曝されている状態なら、共感していただけるのではないでしょうか。

海外(と言っても欧米の一部になりますが)では「ありのまま」の逆で、「どう自分をプロデュースしていくか」ということに重きを置くようです。この場面では「こういうキャラの自分」が適切だな、と考えて、自分のキャラを作っていく、とでも言えばいいでしょうか。「ありのまま」とは真逆ですね。

どっちがいい、とは一概には言えませんが、その目論見が成功するならば、大人になった時に精神的に強いのは「自己プロデュースできる方」だと私は考えます。どんな場面でもありのままの自分、というのは、自分をアピールすることを放棄してしまっているように思えますし、いったん自分を否定されれば(そりゃされることもあるでしょう)、「ありのままでいい」という幻想に支えられていた自己肯定感がガラガラと崩れていってしまうのではないでしょうか。

「自己肯定感」は生きていくのに非常に大事です。しかしそれは、すごく小さな子供の頃を除いては、自分で獲得していくものなのではないでしょうか。ただ、ベースとして、両親に与えられた「ありのままでいい」という自己肯定感があれば、いろんなことに積極的に挑戦していくことがより容易になるでしょう。つまり「ありのままでいい」というのは、自分の挑戦のスイッチを押してくれる、あと一歩のところを後押ししてくれる、そういう役目をしてくれるもののように感じます。そして、その挑戦が上手くいくかどうかを決めるのが「自己プロデュース能力」であり、上手くいけばまた自己肯定感が育っていく、上手くいかなくても確実に経験値は積める、そういうことの繰り返しによって、人格が形成されていくような気がします。

そして話は戻りますが、レイプというものは、この自己肯定感を破壊します。少なくとも私の場合は破壊されました。そして、生きることがものすごく大変になりました。
この「生きることが大変になった」という点では、性暴力被害者、レイプ被害者であるあなたには、共感していただけるのではないかと思います。そしてそこから立ち直っていくには、「ありのままでいい」よりは「自己プロデュース能力を高める」ことの方がむしろ重要で、いっそ容易なのではないかと思うのです。

子供のうちは「ありのままでいい」と言ってもらえる場面も多いと思いますし、性暴力のトラウマ(PTSD)の治療には、そんな自分がいても安心な空間で行なわれるのが普通です。
それは「何でも自分の言いたいことを言っていい」空間だからです。苦しみ、悲しみ、痛み、屈辱、怒り、そういう感情を開けて中身を表現するのは大変なことのようですが、表現の仕方は人それぞれです。
ですが、受け止めてくれる人(多くの場合は治療者、専門家)がいてくれれば、涙と言葉は、力になります。
治療の段階は、それこそ人それぞれ、少しずつでいいのです。そここそあなたのありのままでいいのです。

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とっておき。

昨日はちょっと調子に乗って書きすぎました。
すみません、水原です。

私のことをいくら書いても、まあ、いいんですが、
できればそれがあなたの役に立つ情報であるといいと、思っています。
昨日の記事は、単に昔話と私の主張です。
失敗談と言えるかもしれません。
あなたはあなたの失敗談を、たくさん作ってください。

失敗するって、でも大切なんですよ?

人は失敗からは多くを学ぶし、用心深く、思慮深くもなるし、だからどうせ失敗するなら若いうちの方がいいんです。本人の記憶にもヴィヴィッドに残るし、ゆるしてもらいやすいですしね。

私がいまこの文章を書いている段階では、このブログはGoogleで検索しても出てきません。Googleで検索してひっかかるようになるまでには、少し日数がかかるらしいんですね。だからわりと好き勝手書いてるんですが。

そして少し先の日だとは思いますが、検索してこのブログに辿り着いてくれたあなたがいま、どんなことで悩んでいるのか私にはものすごくわかるところがあるんです。あるんですが、まだそれを直接お伝えできないのがもどかしいです。

と、愚痴を書いてもしょうがない。

たとえばあなたがいま、性暴力を、レイプを受けたばかりだとしたら、少しは役に立つことを私が言えるかもしれないということです。
相談できる人がいないようなら、このブログのたまっているはずのログを遡って、全部読んでみてください。そこにはいまの、あるいは少し先の、ずっと先のあなたがいるように、私は書いていくつもりです。

まず、今日はふたつだけ。
「あなたは、決して悪くない」
「あなたは、決して汚れてなんかいない」
このことをどうか、忘れないでください。
(実はこれ、けっこう核心なんですが。)
私も未だに「私が悪いんだ」「私は汚されてしまったんだ」と、思うことがあります。
そう思い込まされてしまうんですね。
それが性暴力のずるく、卑怯なところです。

だからいくら日本とは言え(海外では少し事情が違うかもです)、これだけ性暴力に関する個人的なブログが少ないんです。

もしかしたら、Twitterを鍵垢にして自分の気持ちをつぶやいている子も多いかもしれません。(そうしようとしても、それすらもできない子も多いかもしれません。)それも癒しの効果がないとは言いません。言いませんが、誰かとその気持ちを分かち合えたと思えた時の方が、ずっとずっと効果的です。そういう相手のいる人は、だいじょうぶです。

でも、そういう相手はなかなかいない、いても大事なら大事なほどその相手には話しにくいものですよね。
だから、上に書いたふたつの言葉を忘れないでください。自分に向かって言ってあげてください。

「あなたは、決して悪くない」
「あなたは、決して汚れてなんていない」
私も時々、思い出したように自分に言っています。
少しずつですが、自分を否定しなくて済むようになってきますよ。

じゃあ、また明日ね。